本丸より (20)写真を志し、学んでいる人なら(商業写真はどうだか?)「ロバート・フランク」を知らない訳がないし、その名前を耳にする機会は必ずある。名前をなかなか覚えない私ですら、その名前と作品は知っているし、珍しく分厚い写真集まで持っている(おまけにその写真集は自腹を切って自分で買った)。私の作品を見てくれているラルフ・ギブソンが若きりし頃にロバート・フランクのアシスタントをしていたということも聞いていたから、つまり、私の“師匠”たる人のそのまた“師匠”というわけで、当然かなりのお年である。 私が通っていた歯科医院である日、ドクターが「ロバート・フランクが来てるよ」と教えてくれた。そして、写真家の端くれである私がもちろん、会いたいだろうと思って、もう少し待てば治療が終わるからと言ってくれた。 実はその歯科医院には世界一ギャラが高いらしい(今はどうだか知らないけれども)写真家、アニー・リボヴィッツ女史も通っていて、何故か写真家が患者に多かった。
私はそう生まれついたとしか言い様がないように、会いたい人、会っておいたほうがいい人と会うチャンスに巡り会う人生を送って来ている。
ロバ-ト・フランク氏は小柄なお爺ちゃんだった。 私達は寒いニューヨークの広い歩道を歩きながら、写真の話を穏やかに続けていた。そして、フランク氏が私に微笑みながら、『君はいい写真家に違いないね』とぽつんと言った。その一言が素直にうれしかった。そして、僕も見たいから、僕を捕まえることができたら(彼は大半をなんとかファンドランド島で過ごしている)作品を持っておいでと、連絡先を教えてくれた。 小田和正の歌に 『あの日、あの時、あの場所で君に会えなかったら 僕らは今でも、見知らぬふたりのまま』
というのがあるけれど、
あの日 あの人に。 ◆ コンタクトプリント ◆ コンタクトプリントは、撮影したネガの“ベタ焼き”と言って、フィルムを並べてそのままプリントにしたもので、どのコマを使おうか、これはボツだ、これはいけそうだ、などと、ル-ペを覗いたり、全体を見たりして選択する作品作りの最初の材料になる。
他の人は知らないけれども、私は自分のコンタクトプリントを見せることはほとんどない。 コンタクトプリントには、フィルムの流れがあり、写りの悪いのも、自分でも訳が分からないコマがあったりする反面、自分が何をどういう順番で見ていたかを思い出したりすることもある。
コンタクトプリントは、まるでスッピンのままの写真のように感じる。
まだ学生で、パリで写真の勉強をしていた時、フランス人のかなり年輩の写真家がその日の評論家で、学生が差し出すコンタクトプリントを見ては、ことごとく毒舌を吐いていた。「こんなのばっかり撮って、フィルムが勿体ない」とかなんとか。
私は恐る恐るほんの数枚のコンタクトプリントを毒舌家に差し出した。 . 私が壁にぶつかると、思い出すエピソードのひとつがそれだった。
All Rights
Reserved (c) ジャンル別一覧
人気のクチコミテーマ
|